私はいつも 追憶のなか

 懐かしい原風景を求めて

  いろんな島へ旅をする

 

   2011.7月  3度目の「竹富島」で、忘れられない体験をした。その備忘録をここに。 

1 貝殻のペンダント


思い立って、気ままなひとり旅。幾度目かの、大好きな竹富島へ。

年中花が咲き乱れ、どこからか漏れ聞こえてくる三線の音色。

ビーチまで続く、白いサンゴの道を、朝な夕なに散歩する。

それだけで、私は満ち足りた気持ちになれるのだった。

 

あるとき、宿の近くを歩いているときに貝殻の看板を見つけて、ふらりとお店の扉を開いた。

店内には、磨かれたたくさんの貝殻と、繊細なアクセサリーたちが並んでいた。

珍しい形をしたものや、南国の色鮮やかなもの。

店主さんと話してみると、ここでペンダントを自分で作ることもできると教えてくれた。

私は自分の誕生日が近かったこともあって、自分の記念にしようと、その場で予約することにした。

いったん宿に戻って夕飯を終え、暗くなった夜道を再び歩いて、約束の時間に店へと向かった。

 

工房の中に入ると、手のひらくらいの大きさの貝殻が山積みになっていた。

聞けば店主さん自ら、近海で採ってきたとのこと。

すでに処理が施され、命は宿していないものの、磨けば再び輝きを取り戻す貝殻たち。

「どんな形にしますか?」
そう尋ねられ、私はあらかじめスケッチしてきた紙を手渡した。

店主さんは、貝殻の山の中から一つを選んで、

さっそくスケッチを見ながら、貝殻を機械で削りはじめた。

 

しばらくして、花形に削り取られた貝殻を手渡してくれた。

私は自分の名前から〝すみれ〟の花を象ったペンダントを作ることにしたのだ。

そしてここから、磨き方を教わり、やすりを使ってひたすら貝殻を磨いた。

想像より根気の入る作業で、夜中までかかった。

黙々と貝殻を磨きながら、時折、店主さんが色んな島の話をしてくれた

なかでも、島の歴史文化にとても興味を示した私に、

「それなら、館長さんのところへ行くといい」と勧められた。
島に日本最南端のお寺があり、そこに併設する郷土資料館におられるとのこと。

なんでも島一番の研究者で、島の祭も取り仕切られているとのことだった。

 

 

後々、この出会いが、生涯忘れられない体験をもたらすことになるとは夢にも思わず―

その日は出来上がったペンダントを手に宿へと帰り、ぐっすりと眠りについた。

 

 

 

2 館長さんとの出会い 足留まりの雨

 

翌朝、さっそく資料館へと向かった。

やっぱりここだ、入り口の石垣のところに並んだ不思議なオブジェ。
これまで通りがかりに気になっていたが、おそるおそる通り過ぎていた場所。この日、初めて足を踏み入れた。

館内に入ると、ちょうど受付で忙しそうに電話している男性がいた。
歴史資料や何かについて話しておられたので、おそらく館長さんだろう。
ほかに誰もいない館内で、温厚そうな館長さんの声だけが響く。
私は電話が終わるのを待ち、しばらく展示品を眺めていた。

  
館長さんが電話を切ると、すぐに声をかけてきてくれた。

展示品の説明を聞きながら、次第に会話も弾んで、私もこれまでの経緯を話した。 

そして、自分の素性を話すうち、巫女をしていることを打ち明けた。

そのとたん、ハッとひらめいた顔をされ、

「あなたは島の祭りを見ないとだめだ!」と告げられた。なんでも、今日から明日にかけて、島の祭りがあるらしい。
 私も祭りには大変興味はあったものの、今夜は石垣島の宿を予約していたので、昼過ぎには竹富島を離れなければならない。
戸惑いを隠せない私に、なぜか説得をしはじめ、強引に引き留めようとする館長さん。
ついには、知り合いの民宿に電話をして、その日の宿を予約されてしまった。

 

そのとき、窓の外で激しいスコールの雨が降りはじめた。

「足どまりの雨ですよ。」

館長さんが、にっこりと笑った。

 

 

 

 

 

3 竹富島の神司(カミツカサ) 夜のまつり                

 

後々知ることになったが、館長さんは、島で祭を取り仕切る斎主を務められていて、

普段は、竹富島の言語や風習など、歴史文化の研究の第一人者でもあった。

また、奥さまは寺のご住職で、島の祭りに伝わる踊りなどを若人に教える師範をされていた。

夫婦そろって島の文化を支える重鎮のようだった。

 

 

その日、夕方6時より、
今まで立ち入ることを畏れていた

ウタキの聖地に入ることが許された。

月と星がまたたく空の下、神聖な森の中を進む。その先にぼんやりと明かりが見える。

そこには、神司(カミツカサ)と呼ばれる老女が2人、香炉に立ち上る煙に祈りを捧げていた。


神前に、集まった島の長老たち(男性陣)が順に並んでいく。

皆揃いの姿で、渋い紺色の着物を身にまとい、手にはクバオージと呼ばれるクバの葉で出来た扇を手にしている。
素朴で清らかな正装、古よりの島人の姿に見えた。
その美しい皺を刻んだ顔つきにも、品格が漂っていた。

 

みんなが揃って、穏やかに儀式が始まった。
まず、神司が祈りを捧げる。後に続いて、斎主の掛け声で、長老たちが一斉に揃って拝礼する。

事前に、島の言葉を聞き取るのは難しいからと、館長さんの取り計らいで、

同行するカメラマンの方に、終始解説をしてもらった。

館長さんも、要所要所でこちらを気にして、声をかけてくれていた。

 

2礼2拍手は明治になってからの作法らしい。元々は33拝、99拝といった、合わせた手を上下する作法だったとのこと。

神司は、香炉に立てたお線香の煙に、まず神を降ろし(カミオロシ)、
そして、古い竹富の言葉で祈りを捧げる。

今も竹富のお年寄りたちが話す美しい言葉の響きは、

日本の室町時代の言葉の名残があるのだと、館長さんが教えてくれた。
 

聞こえてくる言葉の中に、理解できるものを探すけれど、全くと言っていいほどわからない。

古来の言霊が、今も鮮明に、とても豊かに宿っていた。

最後に、拝礼の締めくくり。

直会は、御神酒を載せた足付き台が参列者に渡され、年功序列に回っていく。

あれは泡盛に違いないと、横目に緊張が走る。

御神酒の台が、ついに私の前に運ばれた。

おそるおそる盃を受け、注がれた泡盛を飲み干す。

熱いものが一気に喉元を過ぎる。
神司の祈りを介して
この地と一体になるような、不思議な心地がした。
  

  今晩、島にある3つのウタキには、神司がそれぞれ夜籠もりしている。

 島の中央のウタキに2人、小学校真横のウタキに2人、うっそうとした森の中のウタキに1人。

 この日は夜通し、全5人の神司が島中で祈りを捧げている。

 島の人たちはお願い事をしに、夜のウタキをたずねて参るのだ。

 

 

翌日もまた、お祭りがあるから来なさいと言われていた。

聞けば、特別に参列を許していただいていた。

正装した長老たちが揃って軽バンに乗りんで、次々と神司のいるウタキを回る。

私も恐縮しきりで、長老たちのケイバンに乗り込ませてもらった。

とても素朴で気品ある長老たちの佇まい。

古来の日本人に会えたような心地がした。 

 

ウタキに着いて、儀式は淡々と進められていく。

普段、巫女として奉仕するときの緊張感を知っているせいか、

そのあまりの和やかな光景に、良い意味での緊張感のなさに、とても驚いた。

 

祭典中も、長老たちは合間のおしゃべりを続ける。冗談を言いあって笑ったり、村の噂話をしたり。

つい盛り上がり過ぎて、斎主がその場をいさめ、笑顔で神様に謝ったりする。
とてもほほえましく、古来からつづく神と人とが集う祭りの光景を目の当たりにした。

 

みんなの世間話を聞いていた神司がこちらを振り向き、

「町の色んな厄介ごとをあらいざらい神様に聞いてもらうのよ」
そう言って微笑んだ。

 

  白い装束を羽織った神司(カミツカサ)はこの祭の神の使いとなるーー。

 

どの祭りも、最後を締めくくるのは、やはり直会。

供えていた御神酒やお菓子、塩など、

神司が直々に長い菜箸を使って、長老たちに配って振る舞う。
手から直接わたすことはしない。
お菓子を受け取る際には、

「神司様、じきじきに頂きまして…」と長老たちが頭を下げて礼を言う。
女性である神司が長老たちを笑顔で見守る姿は、とても寛大な母の眼差しのようだった。
 
世襲で、代々受け継がれるという神司(カミツカサ)は、古来から女性に限られている。

役職を継いだその日から、その身を捧げ、島の神様に祈りを捧げ続ける。
 
竹富島で出会った5人の神司の美しい佇まいには、この島の神秘そのものが宿っていた。

4 虹色のかかる島で
 
翌日、早朝6時の祭を見学した後、
ついに、島を去る時がきた。
 
祭の様子を撮影しながら、ずっと解説をしてくれていた若いカメラマンさんは、
祖父がこの島の出身者で、特別に撮影を任されているとのことだった。
この日は祭りの後、港まで車で送ってもらうことになった。
車内で、この数日間を振り返り、とても驚くことばかりだったと話してくれた。
“女人禁制”だった祭さえも、「もっと近くで見ていいよ」と、かなり近くに寄って参列を許してくれたこと。
前例にないことをさせてしまったと恐縮しながら、
実は、館長さんとはつい数日前に出会ったばかりで…と言うと、
さらに驚いた様子で、てっきり昔からの知り合いだとばかり思っていたようだった。
沖縄の島々には、一切外部に公開しない、いわゆる「秘祭」というものがある。
竹富島が祭事をオープンにするようになったのは、この館長さんのはからいだということも後々知った。
港に向かう白い珊瑚の道、
ふと見上げた空に、虹がかかっていた。

港に着くと、もう間も無く出港時間ギリギリ。
カメラマンさんに感謝を告げ、あわてて船に飛び乗った。
朝一番の船に、乗客は私ひとり。
船の甲板に出ると、遠ざかる島に大きな虹がかかっていた。
こんなに大きな虹を見たのは何年ぶりのことだろう。
ほんとうに、奇跡の島だ―。

島で出会った人々の明るい笑顔を思い出し、
船の後ろからふきあげる潮風に頬を濡らした。
 

ウタキの前に敷かれた御座の上で、紺色の着物をまとった島の長老たちが、談笑する姿。
まるで神々の集会のようだった。

   ――神様の前に、そのままの姿をさらしなさい。
神司の言葉が、いつまでも胸に響いていた。
 
 
いずれ継ぐ者がなくなるかもしれない。
この情景は、いつか忘れられていくものかもしれない。
あの美しい人々の営みは、夢ではなく、現実。

出会った人の中には、“島の美しさは見かけだけだ”と言う人もいた。
よそからきた人間がこの島で暮らそうとするとき、
長老たちの会議によって、移住の許可が決まるのだという。
多くの観光客で成り立つ島の暮らしも、
日々開発の波に見舞われ、たくさんのことが失われていくように見えた。
誰もがそれを嘆きながら、時の流れは決して止められない。
 
 
それでも「島の暮らしには、この時代に必要な、重要なヒントがあるはずだ。」
という、館長さんの言葉。
 
これまで、神に仕える“神司”の存在に、
巫女として、いつか会える機会があるならばと憧れていた。
実現したことは、とても畏れ多くて、今でも夢のように思い出される。
あの夜、祭壇の前で、私の願いを聞き、神様に祈ってくれた。
私の名や住所を告げ、丁寧な祈りを捧げてくれた。
 
島の重役でもある、長老たちだけが参列する祭に、
よその人間である私の参加を認めてくださったこと。
最初から最後まで、導いてくださった館長さん。
   
これまで、幾度か訪れた竹富島で、
会うべくして会い、導かれるように出会った人々。
 
今回の旅で、もしかしたら竹富島に来るのはもう最後かもしれない、
なんとなく、そんなふうに思っていたのに、
それが奇しくも、深いご縁を頂いてしまった。
 
成り行きとはいえ、竹冨島の神様にお願い事までしてしまったものだから…
いずれ再び訪れる日まで、この旅の記録を胸に刻んでおきたい。 

なぜ竹富島に呼ばれたのだろう――
やっと、ほんの少し見えているのだけれど。

旅のおわりに。
2011/7 violet